肩が痛いとか、腰が痛いといった話は良く聞きますが、
そうした方の多くは、からだを「緩める」ことが必要だったりします。
からだの不調を感じて、病院でレントゲンをとってもらったけど、
「特に問題はない」などと言われた方、
肩が痛いとか、腰が痛いといった話は良く聞きますが、
そうした方の多くは、からだを「緩める」ことが必要だったりします。
からだの不調を感じて、病院でレントゲンをとってもらったけど、
「特に問題はない」などと言われた方、
「鈍感な人がストレスに強いというのは間違い」
(同書より)のようです。
人は、心を閉ざして、何も感じないようにすることがあります。
しかし、そうした人は、喜びや楽しみも感じなくなって
いるかもしれません。
ロルフィングは、基本的には10回のセッションで構成されていますが、
「ポスト10」といって、希望があれば、
1回、3回、5回とセッションを受けることが出来ます。
先日、私は、久しぶりにロルフィングを受けてきました。
(私にとっては、これがポスト10に当たるわけです。)
ロルフィングの効果は、永続的だと言われることがあります。
基本的には、10回シリーズのセッションを受けていただいた後、
プラクティショナーは、クライアントを手放することになります。
10回のセッション終了後も、クライアントの体の構造が
夢や希望の実現に向けて、積極的に挑戦したいと思っている方であれば、きっと関心を持っていただけるのではないでしょうか。
トライベッカ・ベーカリー株式会社の代表取締役社長であり、現在は、東京世田谷区代沢にあるパティスリー「プレジール」のオーナーである、石河利也さんは、ものすごく行動力のある方です。
お話を伺っていると、こちらまでパワーをもらった感じがします。頭でっかちで行動できない人も多い中で、若手経営者である石河さんが何を考え行動されているのか、今回のインタビューは個人的にも非常に興味深いものでした。
»「ベーグルの会社を立ち上げるときに、協力者はいらっしゃいましたか」
「はい。前の会社で働いていたときの関係者で、投資をしてくれる方がいました。その方に店舗をやってみればと言われて、98年に、今の会社の前身にあたるコーヒーとベーグルの店を渋谷で
オープンさせました。そうしましたら、大繁盛でしたね。そのとき、僕は雇われ役員という立場で、お金を出すから自由にやりなさいと言われていました。1号店が上手くいったことで、投資家さんからお金が入るようになり10店舗、20店舗と増やして、フランチャイズ展開をしようという話になっていきました。ただ、僕自身は、あまり興味がなかったですね。お金と一緒に、お偉いさんたちが次々と入ってくるようになり、僕はそうした人たちから生意気だと言われ嫌われていました。言われることだけをやっていれば良いとね。
僕はだんだん嫌気がさして、辞めようと思いました」
»「すんなりと辞められなかったでしょうね」
»「そして、このお店(プレジール)のオープンとなるわけですね」
「工場が4年目くらいから手狭になり始めていたのです。また、コンプライアンスの遵守についても特に数年前から厳しく求められるようになりました。食品はかなり厳しく言われ、物の出入り、人の出入り、出荷場所を全て分けなければならないのです。例えば工場内であれば、工場内の内側の圧力を高くして、入口側の圧力を低くすることが理想とされているんです。そうすると、ドアを開けても外のほこりも入りにくくなりますから。
うちは大手のスーパーなどとの契約もあり、特に品質管理には徹底する必要がありました。梱包機やエアシャワーといった設備投資も欠かせませんでした。また、在庫を置くスペースがなくて工場の生産が頭打ちになっており、チャンスロスだなあとイライラしている時期がありましたね。それで、物件を探し始めていました。
»「今のような打ち込める仕事を、どうしたら見つけることができるのですか?
「私は、やるなら楽しくなんです。正直なところ、仕事はあまり好きではありません。遊びたいし、昼寝もしたいし、ドライブもしたいし、デートもしたいですし(笑)。大学時代は散々遊びました。バイトに精を出して、学校に全く行かなかった年もありました。テストも受けていませんでしたから確実に留年ですよね。ちょうど、そのときテニスもやっていて、そちらで生計を立てることも考えていました。当時はバブルの時代であり、テニスのコーチのとしての仕事を、時給7000円くらいで引き受けていましたから。
就職活動では多少なりとも苦労しました。だから留年するんだとか、遊んだつけが回ったとか言われましたね。でも、そう言われたことで、大人になったら、まじめにやろうと思いました。そのときに遊んでいたからこそ、今、我慢できることもあるのだと思います。ビジネスには留年はありませんから。例えば10年でやれることを5年で詰め込んでやれたら、6年後には遊べるかもしれないと思ったわけです。遊びの楽しさは散々知ってきていますから、その楽しさを戻すために、一所懸命頑張ろうかなと考えました」
»「面白い考えですね」
»「システムの会社から、この世界へと大幅に転換されましたが、その当時、この仕事は天職だと思われましたか?」
「思っていないですね。ただ、やってみようと思っただけです。実は、人生において海外へ行くチャンスが当時2回ありました。一つがテニス留学への誘いで、もう一つが、アルバイト先のサーフショップで働いていたときです。ニュージーランドでお店を出すから立ち上げに言って来てくれと言われたのです。それが大学最後の年の2月で、内定も既にもらっていましたから、あと2ヵ月ほど待ってくれれば卒業という時でした。僕は、2年間も留年して親にも迷惑をかけているので、卒業するまで待ってくださいと社長にお願いしましたら、今、行かないのならいらないと言われました。ある意味、社長は僕を試したのだと思います。ベンチャーとして個人で独立してやっていくのであれば、学歴は関係ないだろうし、1日でもその世界に飛び込んで学ぶことが大事ではないだろうかと言われました。その一言が心に突き刺さりましたね。ただ、散々遊んできて、2ヵ月で6年は棒に振れないと思いました。実は、内定をもらった後も、もっと良い会社はないかと就職活動をしていました。当時、内定はいくつかもらっていたのですが、それにもかかわらず、就職活動はずっと続けていました。その中で最も魅力的な会社が、最終的に就職したシステム会社でしたが、ただ、その会社と比べても、アルバイト先の会社は魅力的でした。だから、もう2ヵ月待ってくれたら、そちらの会社に就職していたかもしれません。そいうことがありましたので、次にそういう話があったら、迷わずすっと行ける人でありたいなあと思っていました。その時に、それをすごく思いましたね」
»「そして、3度目が米国への修行ということでしょうか」